県内外で取り組まれている、地域福祉の興味深い取り組みを取材しています。ヒントになりそうな知恵と実践が満載です。
ユルくとらえて吉! 地域の歴史とボランティア
2025-04-21
カテゴリ:住民活動,まちづくり,ボランティア,地域の歴史
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それは聖徳太子と達磨さんの伝説から始まった
「全国だるまさんがころんだ選手権大会」は2021年から、毎年11月に開かれています。
そもそもは、町内にある臨済宗のお寺、達磨寺をめぐるひとつの伝説にあります。
『日本書紀』は推古天皇21(613)年、聖徳太子が片岡(今の王寺町本町付近か)の道ばたに倒れている飢餓状態の男性を見つけ、食べ物や衣服を与えて介抱したと伝えます。残念ながらこの「飢人(きじん)」は亡くなって手厚く葬られたのですが、数日で遺体は消え失せ、太子から与えられた服だけが丁寧に畳まれて置かれていた……。
飢人とは禅宗の祖といわれる達磨大師であり、太子との出会いが達磨寺の創建につながった、というわけです。
現代の王寺町の人たちは、この「片岡飢人伝説」を観光にも活かせないかと相談を始めます。そこで、町文化財保存活用地域計画協議会の委員になっていた奈良文化財研究所の埋蔵文化財センター長、馬場基さん(日本古代史)が提案しました。
「せっかくだから、『だるまさんがころんだ』で盛り上げませんか?」
子どもの頃多くの人が親しんだ、あの遊びをきっかけにすれば、地元の伝説や歴史に親しんでもらえるのではないか、というアイデアです。
あれよあれよという間に話はまとまります。公式ルールができ、「全国」と冠した大会の開催にこぎ着けたのでした。町内ではその後、「だるころ」の愛称で親しまれています。主催は「王寺町の文化財を生かした観光拠点づくり協議会」です。
「のろし」のスピードを確かめたい
もうひとつ、「みんなでつなぐ明神山烽火(のろし)プロジェクト」は、「だるころ」より1年遅れて2022年度に始まりました。初年度は11月22日、12月15日、翌年2月25日の3回。23年度は12月9日、24年度は12月14日に催されています。
これも元になったのは日本書紀です。
古代の一大政治改革「大化改新」を主導した天智天皇は、唐・新羅連合軍に滅ぼされた同盟国、朝鮮半島の百済を救おうとしますが、天智天皇2(663)年、白村江の戦い(韓国中西部を流れる川、錦江河口付近での戦闘)で敗れます。倭国(日本)も危ないという不安が高まり、翌天智3(664)年に「烽(とぶひ)」が対馬などに置かれた、と伝えています。
古代の法律によれば、「烽」は40里(約21km)ごとに設置されたといいます。大陸側の進攻を察知したら、飛鳥(今の明日香村)の朝廷に情報がいち早く伝わるようにしたのだと考えられます。
その効果がどんなものだったかを知るため、大阪・奈良府県境にある王寺町の明神山(標高274m)を基点に、飛鳥までの「煙リレー」をしてみようという実験歴史学の試みです。
求む! 鬼ボランティア
どちらも王寺の歴史に由来する試みだけに、町民や町内の団体の参加は欠かせないところです。
「だるころ」では、「鬼」を務めるボランティアを募集しています。
「だるまさんがころんだっ!」と大きな声で唱えながら振り返り、背中をめがけて近づいてくる参加者がピタリと動きを止められないと捕まえてしまう。あの「鬼」です。
王寺町のルールでは5人組のプレーヤー2チームが対戦し、15メートル先のゴールを目指します。鬼役は審判でもあり、動きを止められなかったプレーヤーを見つけると「アウト」を宣告して退場させます。
第1回の鬼はタレントさんに頼んだそうですが、第2回大会前には、町商工会の役員でもあった飲食店主、玉守数叔(たまもり・かずよし)さんが友人やお店の常連さんに声をかけて、5、6人のボランティアを集めました。その後公募で選ばれた人も加わって、今では15人ほどのチームになっています。
企画の中心にいた町の文化財学芸員、岡島永昌さん(現・帝塚山大日本文学科准教授)は、第2回以降も鬼役をタレントさんに頼むつもりでした。しかし、奈良文化財研究所の馬場さんが第1回の準備段階から
「ここはやはり、町の人に関わってほしい」
とボランティアの参加を強く推し続けたのだそうです。
鬼にはいろんなタイプがいます。早口で「だるまさんがころんだ」と叫んでパッとふりかえる人、ゆっくり唱えるけどプレーヤーがピタリと止まっているかをじっくり観察する人、若者、壮年、作家、教師……。くせ、年齢、職業もさまざまです。
試合となると、どの鬼に巡り会うかで、チームの運命は大きく左右されます。
「勝つか負けるかはまったくの運」と少し不満そうなチームもありますが、ボランティアを集めた玉守さんは
「そこが不確実で楽しいところ。正確性だけを求めるならAIに鬼をさせればいい。でもそれじゃ味気ないでしょう。鬼の個性を早く見抜いて、作戦を立てるチームが出てきてほしいですね」。
大会前に何回か開かれる、鬼の打ち合わせ会議も「出られる人が出ればいい」と、ハードルは低め。全員がそろうことは一度もないそうです。
「最初はどんな催しなのかも説明しないで、知り合いに『とにかく登録だけしておいてよ』と声をかけました。まだ一度も開催していないので、イメージがわかないでしょう。第3回大会のころからは『だるころ? ああ、あれね』とわかってもらえるようになりました」
と言います。
「ゆるく、たのしく」が「だるころボランティア」の秘訣のようです。
高校生が心強い味方に
一方、「烽火」では初年度、その歴史を学んで開催の好適地を探すワークショップを、町が開きました。
町民や大学生など約20人が応募したのですが、新型コロナウイルスの流行がまだまだくすぶっていたことも影響したのか、本番のボランティアにも参加した人は多くはありませんでした。
そこへ助けとなってくれたのが、地元の県立王寺工業高校の生徒たちでした。
同校は王寺町と2016(平成28)年から「連携協力に関する協定」を結び、地方創生や観光振興、人材育成などで手を取り合うことになっていました。「地域連携」をテーマのひとつにした授業もあります。
そこで、2回目の烽火プロジェクトを年末に控えた2023年、町から「烽火をあげるためのロケットストーブを、煙が高く立ち上るように改良できないか」と相談があったのです。
古代の烽火がどんな機材を使っていたのかはよくわかっていません。初年度はドラム缶3個を上下に重ねたようなストーブで火をたきましたが、煙は拡散ぎみでした。
生徒たちが試行錯誤の末に完成させた新型ストーブは煙突が細長くなっていて、見事に白い煙をモクモクと上空へたなびかせました。
20㎞=6分の煙リレー成功
3回目、王寺工業高校が加わって2年目となる2024年は、同校機械工学科3年の髙柴智広(ちひろ)さんら6人が、前年の先輩らの作品をさらにバージョンアップしたストーブを作りました。
結果は大成功です。スタート地点になった大阪府松原市の大和川河川敷から王寺町の明神山、葛城市しあわせの森公園を経て、古代の宮都だったゴール、明日香村の甘樫丘まで約20㎞を、わずか6分で煙のリレーがつなぎました。
地域連携を実感
髙柴さんは「本当に感動でした。最高の気分です」と話してくれました。
実は、お母さんが自治会役員を長く務めてきたのを見て育ち、地域に関心を持ってきたそうです。
「中学校の時には本棚を作って地元の幼稚園に寄贈した経験もあり、地域という言葉に親しみを感じていました。でも、新型コロナ流行の真っ最中だったので、それが子どもたちに使われているところを見られませんでした。今回は自分たちが作ったストーブが煙を上げるのを現場で見ることができて、地域連携を実感できました」
髙柴さんは3月で卒業し、4月からは自衛隊員として神奈川県内で訓練を続けています。「自衛隊を選んだのも、災害派遣やPKOのように地域を支える仕事があるから。派遣先の人たちと交流、連携できたらうれしいです」
髙柴さんのように、「地域」や「連携」というキーワードにピタリとはまるケースはまれかもしれません。しかし、身近に暮らす人たちと感激や喜びを共有できるというのは、何にも代えがたい心の糧なのだと思います。
広く体感的参加ができるものに
「だるころ」を提案した馬場基さんはこう話します。
「このイベント案は最初、町の文化財関係者や保存活用計画の委員さんたちに失笑されました。文化財は、時に人や町との対立軸になりがちで、『私たちには関係ないもの』『町づくりにじゃまなもの』と言われることがあります。ならば、逆転の発想で『自分たちも文化財の一部になってしまおう』と考えたんです。小うるさい考え方を減らし、文化財を広くとらえて、皆が体感的に参加できるものがいいと思うのです」
馬場さんは歴史学者として、文化財の視点から語ってくれましたが、
「小うるさい考え方を減らし、広くとらえて、皆が体感的に参加できる」
という言葉に、地域福祉の視点にも通じるものを感じました。(奈良県社会福祉協議会地域福祉課・小滝ちひろ)
