県内各地で取り組まれている、地域福祉の興味深い取り組みを取材しています。ヒントになりそうな知恵と実践が満載です。
『しんどいからおもろいねん』はニュージャーナリズムだ
2025-03-27
カテゴリ:住民活動,居場所,見守り,生活支援,まちづくり
注目
驚きの『おもろいねん』
ある福祉関係者から「これ、おもしろいよ」と、一冊の単行本を勧められました。『しんどいからおもろいねん』(コトノネ生活刊、税込1980円)です。
関西弁のタイトルからして、何だかあざといような……。しかめっ面を上下ひっくり返すと笑顔になるという表紙カバーにも、ちょっと引きました。
元新聞記者の私は読書が趣味ですが、実のところ、人のお勧め作品にあまり手を伸ばしません。大抵「話半分」で終わり。書店の書棚から自分で手に取るのがいいというか、他の人と違うものを求めてしまうというか。要はへそが斜めを向いているのです。
著者は野々村光子さん。精神保健福祉士で、滋賀県にある東近江圏域働き・暮らし応援センター“Tekito-”の「棒心」。棒心は作業現場のリーダーを指す俗語で、巻末の著者略歴には「相談総括役」と添え書きされています。
でも、せっかくのお勧めですから「感想くらいは伝えないと失礼かな」と、とにかく読み始めました。
すると、数行で驚かされてしまったのです。27の短編の一等最初、「ゴミ屋敷の住職」はこう始まります。
「死にそうじゃ。助けてくれ」
電話の向こうで叫ぶ男。住所を聞いて車を走らせた。
瓦が落ち、背丈まで伸びた草が一面に生えた寺。外壁には、地域からの〝出ていけ〟という張り紙が貼られている。
廃墟。
映画を見るように、場面が頭に浮かんできます。落ちた瓦、伸びた草、張り紙と、場面の細部が明確に書き込まれているからです。しかも言葉が短くてくどくどしていない。
ニュージャーナリズムに似たリアル
こうした細部を明確に書き込むことで場面を描き出す手法は、1960~90年代アメリカのノンフィクション界で流行した「ニュージャーナリズム」に似ています。当時の米国の一流記者たちは、何人もの関係者にインタビューし、その成果を場面として組み立て直して表現することに挑戦しました。それまで主流だった、質問に対する相手の答えをそのまま書く報道からの脱却を試みたのです。
例えば、70年代に「ニュージャーナリズムの旗手」と言われたノンフィクション作家、デイヴィッド・ハルバースタムの出世作『ベスト&ブライテスト』(朝日文庫、浅野輔訳)は、冒頭にこんな描写があります。
あの日、彼は天候を気づかっていた。老人を冷たい風にあててはいけない。寒空の下で待ち構えている記者団の質問の矢に、老人をさらしてはいけない。タクシーを待たないですむようにと、彼は老いた来客を自分の車まで案内し、運転手をつけて見送った。(略)
あと数週間でこの青年は、アメリカ合衆国大統領になる。
1960年の大統領選に当選したばかりのジョン・F・ケネディが、高官候補として迎えようとする老人との会談を終えた場面です。寒空、記者団、タクシー、自分の車と、すべてのパーツが過不足なく書き込まれています。どうです。野々村さんの書きぶりとよく似ていませんか。
『しんどいけど』を一読して、私はすぐ「これ、ニュージャーナリズムだわ!」と感じました。ただし、野々村さんがハルバースタムらと絶対的に違うのは、その場に確かにいた「当事者」であった点です。だからこそ、リアルに場面を再現することに成功しています。
突き放さない温かさ
しかも、その目線は全編にわたって、登場人物を突き放しません。腹が立ちそうな時でも、どうしようもなく困る時でも、対象を温かくみつめます。
例えば『ハングリーな男』。主人公の彼は、「陽に当たったことがないのかと思うぐらい、白く細い右腕に彫られた『心意気』の文字」がシンボルという、どことなく頼りなさが漂う若者です。
駅で彼を探しては、何度も一緒に飯を食った。
ラーメン屋で、他の客と並んで読めない新聞を広げる。
ファミレスで、ブラックコーヒーを飲まないのに注文する。
世の中の大人は彼にとっては上っ面なんやと教えてもらう。
一緒に飯を食う時間、彼から話が出る。
「野々村さん、欲しいもんある?」
「若さと美貌」
「しょうもなぁ。僕は、知り合いが欲しいわ」
上っ面の大人に囲まれて心の底に寂しさをため込んだ彼のほしいものは「知り合い」。愛でも金でも名誉でもない。本音がポロリと口をつく瞬間を逃さなかったのは、野々村さんが彼にしっかと寄り添い、愛情を持って「観察」しているからだと思います。
「私をトキメカセル男~人生の時間色~」は医者の息子で、周囲から「何の心配も無い」と言われてきたのに高校受験に失敗して、「医者になる」という人生の看板を自ら下げたといいます。
そんな「そこそこイケメンのメガネ男子」は「人に会わない時間の中にいた」。でも彼は野々村さんの支えを受けていろいろとあった末に、スーパーの品出し業務をアルバイトに選びました。
「タピオカって知ってるか? 俺は、ネットでしか見た事なかってん。知らんもんにいっぱい出会えるのがスーパーやねん」
彼は、社会の『普通』に合わさず、自分の『知ってる』を増やしていくコトにしたんやと知る。
(略)
彼が新しく知るもんが増える分、彼を知る人が増える。
かろやかで深い
彼が新しいものを知るのは本やネットの知識ではありません。職場でおしゃべりをして、周囲と絆を紡ぎながら、新しい人、新しい世界に出会っていくのでしょう。
その様子を、野々村さんは「彼を知る人が増える」と、母親のように見つめています。短く歯切れのいい文章はかろやかであり、深みも湛えています。
こんなルポルタージュの書き手が登場したことは、本職のジャーナリストには「脅威」でさえあると言えます。おそらく野々村さんの引き出しには、本に収まりきらない量のエピソードと言葉がぎっしり詰まっていることでしょう。次回作が待たれます。
福祉関係者や一般の方々はもちろん、現場のプロではない多くの人たちにも注目して欲しいと思います。
へそ曲がりおじさんが珍しく、素直に本音を書きました(笑)。(奈良県社会福祉協議会地域福祉課・小滝ちひろ)
本稿の書影、イラスト(小俣裕人さん)は「株式会社コトノネ生活」からご提供いただきました。
